1記事目が抑うつ状態の闘病記っていうのも……。
「いきなりダークサイドに堕ちた話、するの?」と思いましたが、過去の体験談を語りながら、今のぼくに辿り着くように書いた方が分かりやすいんじゃないかと思ったのと、「結果的に収益に繋がらなかったとしても、せっかくアイテムを紹介するならアフィリエイトリンクも貼りたい」という下心が百パーセントあったため、しばらくはアイテム紹介とは関係のない話をしていきます。本編の前の導入編って感じで読んでいただけたら嬉しいです。
今回の話は一番暗いので、なるべく暗くならないように配慮して書いていますが、病気になった要因がある以上、どうしても暗い話になりがち……。苦手な人は今すぐUターンしようねっ!
他の話(アレルギー、手術の話、乾燥肌・敏感肌、ストレス性胃腸炎)はそこまで暗くないから!!
【抑うつ状態の闘病記1】2011年11月頃(25歳)→2012年3月~2012年6月頃(25歳→26歳)
「なるべく人と関わる」ことを高校生の頃から始めて、数年。それなりにおかしかった状態から矯正されつつあり、とある業界の片隅にいながら、仕事も頑張っていた頃。
ちょうど関係のあるものの黎明期だったこともあり、出向先で「定時、なにそれ?」「休み、なにそれ?」という生活を送っていました。
午前9時前くらいには家を出て、午前0時~2時くらいに家に帰る。ご飯は冷めているので、「自分で用意して食べる!」と宣言して自分で食べるようになったものの、作る気力もほぼないので、コンビニか24時間営業スーパーで買ったものを食べる。ご飯は温かいけど、ぼっちなので、心は冷えており。実家に思うところがあって早く実家を出たかったけど、気力も体力もない上に諸般の事情で同居家族を扶養していたので実家も出れず。お風呂も深夜。帰宅時には灯油ストーブはOFFで、つけたら怒られるからつけることもできず。あまり記憶になかったけど、とにかく「寒い」って記憶しかない。
北海道の中でもちょっとは暖かい方だけど、住んでるの「試される大地」だからな?
しかも冬だぞ? 電気ひざ掛けだって、効かないからな?
(結果、布団の中が一番暖かかったです。防寒は「毛布を被ってじっとしているのが一番」と知ったのはこのとき)
ただ、働いて。ただ、寝るためだけに家に帰って。
ただ、必要最低限の栄養補給だけして。仕事日のご飯は美味しいってあんまり感じてなかったなー。今だから思うと、ストレス発散のために食べてたのかも。味は分かるので、美味しいとは思ったけど、それだけ。
だから、貴重な睡眠時間を削ってでも、ニコニコ動画を観てたりしていた。何のために生きているのか分からなくなってたから。
その上、現場でも身の丈に合った仕事ではないから「なんで、~(職業名)をやってるの?」と言われる始末。
知らねーよ。
そうして過ごしていたら、急に涙が出て止まらなくなった。
泣く理由はあるけど、こっちだって泣きたいわけじゃない。止められんのよ。トイレに緊急避難しても、過呼吸に近い感じでどんどん苦しくなって。
死にたいとかじゃなくて、消えたいって思ってた。地下鉄に……って思ったこともないわけじゃない。当時は柵もなかったよ!
ここまでは1回目の診断(発症時)と2回目の診断(再発時)共通の話です。1回発症しているのに、また同じような生活に戻るハメになったあたりでヤバイよね……!
実は、記憶が本当に定かじゃなくて、以降、どっちが1回目でどっちか2回目の話か分からないのです……!
どっちでも取れるように書いてます。ごめんなさい!
泣き出すだけじゃなくて、布団から起き上がれなくなってた。正確には「起き上がりたくないなー」って体と心が出社を全力で拒否してた。
その頃、家庭でも色々あった(はず)ので、付き添いで行っていた病院とは別のところに自ら受診をしに行ったら「抑うつ状態」と診断され。すぐに投薬治療が始まり。寛解しては再発するし、2週間くらい(だっけ?)の休職を勧められ、(確か診断書をちゃんともらったような……)会社に話して休職したこともありました。
休職期間中、とにかくソファーで寝ていたのですが、趣味を公開する技術として軽く覚えていた(古のオタク…!)HTML・CSS、つまりは別業界のWebサイト制作業界が気になってたのもあり、本を買っていたのもあって読むことに。
ソファーで寝るしかできないのに、本を読むどころじゃないと気づきもしなかったよ。おバカ……っ!
それでも、数日経てば、読めるまでは回復したような?
睡眠って大事……!
そのときの読んだときの衝撃といったら。
効率的に進むし、最新の取り組み方もするし、今のぼくの環境とはすごく違っていた。
下請けとか孫請けとか、今だから思うとWebサイト制作業界だってないわけじゃないけど、少なくとも、そのときの環境ほど酷くはなかった。
理想のやり方が、そこにあった。
2週間の間にあった土日。2週間ずーっと家にいても心は休まらなかったし、体力は回復してきていたので、会社関係者に会ったときに何を言われるかも怖かったし、人混みの中を移動するのも正直辛かったけど、パートナーに会いに行っていた。
当時恋人だったパートナーに会うのは、自分の中で一番心休まる場所だったので、問題なかった。それに、実家にいる方が落ち着かないくらいだったし。
最終的に、寛解と判断されて投薬治療が終わって「寛解」と言われても満足に同じ仕事では働けなくなってしまったことで自社に戻りました。
【抑うつ状態の闘病記2】2014年2月頃(27歳)→2014年8月頃(28歳)
今回の一件で、結婚してからも続けられるとは思えなかったし、実家でも「家を出たい! 共倒れはごめんだ!」という出来事もあったことで、仕事も辞めて実家からも脱出し、結婚もするという、全部を丸ごとやってしまえと、準備を進めて今のパートナーと結婚したのが、2013年4月のこと。
すぐに復職するつもりで、「辞めるまではフルタイムで働いていたんだから、残業は無理でもフルタイムで働くことができる。最初は少しゆっくりできたら御の字だなぁ」と思っていた時期がぼくにもありました。
結論から言うと、仕事を辞めた途端、力が抜けちゃって。
その後、しばらくの間、体が重くて動かなくて、家事だってギリギリなレベルで。動ける時間は1日の内、少ししかないくらいで。
今まで一人暮らしもしたことがなくて料理以外まともに家事もしてなかったことも災いし、失敗ばかり。
今でこそ、理解してくれて「悪くないよ」って言ってくれるけど、結果的にパートナーの信頼を裏切った形になってしまったから、当時は本当に生きている価値がないと思ってました。
それでも何とか転職活動を試みたけど、残業が確定しているWebサイト制作会社には行ける気がしなかったし、ただ作るだけはもうできなかった。だから、自分に合うパートを探してはみるものの、見つかるまで半年以上かかって。やっと見つけて面接も合格して働き始めて。暫くはリハビリも兼ねて短時間で働いていたけど、辛さとプレッシャーと申し訳なさと自信喪失が全部襲ってきて、どうにもできなくなってしまい。家の近くのメンタルクリニックに行ったら、再発という診断を受けました。これで、抑うつ状態3回目の診断です。
診断を受けたときのことは少し覚えているけど「寛解」と言われたときのことは、正直に言うと、あまり覚えていない。
結婚してから、義実家とパートナーを見ながら認知の歪みを独自で矯正していったこと、パート勤務で『仕事をしてきた実績を積んだ』ことや準委任契約で仕事を1件以上請けたことと、パートナーが病気に対する理解を得たこと、医師にもアドバイスを受けてパートナーと話をするようになったこと。これらすべてのできごとが重なったことで自分をある程度許せるようになり、ある程度落ち着くことができたから「寛解」に至ったんだと思う。
【抑うつ状態の闘病記3】2014年9月頃(28歳)→2019年8月頃(33歳)
抑うつ状態は寛解しても、「なんか、エネルギーが抜けるぅぅぅぅ……」という怠さを感じる後遺症と、年に数回ほど泣き出して過呼吸のように苦しくなってしまう後遺症が残ってしまいました。
泣き出すのは、正常と異常の『ズレ』のせいなので、自己分析と矯正を続けることで徐々に回数が減っていきました。今は年に1回あるかないかくらいまで落ち着いています。
でも、「自律神経のバランスが乱れやすい3月が鬼門」ってことだけ、今後のためにも脳内メモに強く刻んでいます。
体の怠さは、「病後の体力回復がうまくいっていなかったため」だったことが、疲労回復効果のあるビタミンB群の存在を知ったことで発覚したので、対策もしやすくなったし、回復もできたので、以降は比較的問題なく過ごせています。たまにあるけど、そういうときは無理をしないで安静にしています。
【2024年8月7日追記】
年に数回ほど泣き出して過呼吸のように苦しくなってしまう後遺症は年々頻度が減少しており、2024年現在では、ほぼ出ておりません。最後に出たのは2022年春頃でしょうか。以降は、辛い思いをしたとしても、過呼吸のように苦しくなってしまうことはなかったです。今でも、たまに慌ててしまって強いストレスを感じることはありますが……。
「なんか、エネルギーが抜けるぅぅぅぅ……」という怠さを感じるのは、今までずっと後遺症だと思っていたのですが、実は、最近になって別の病気の症状の可能性が出てきました。
発症前の体力のMAX値を100だとすると60~70くらいがMAX値になっていますが、これは、精神疾患の病気になってしまった人は、ある程度避けられないことでもあります。ダメージが酷くなかったらMAX値100近くまでは回復できると思います。早期発見・早期治療が大切です。
ぼくの場合は以下のから「虚弱体質」で、元からMAX値100もなかった説が浮上しています。
- 体温36度以下・最高血圧100前後
- 寒暖差で喉がやられていた(アレルギー体質)
- 子供の頃はしょっちゅう風邪を引き、その度に吐いてしまっていた
- 子供の頃、マラソン後に熱を出した
- ストレス性の胃腸炎回数:2回
健康診断では、脂質異常「要観察」が出る以外、特に問題なく「正常」「健康体」とか言われるので、虚弱体質の場合は検査しても結果に出ないんだろうね……。
【2024年8月7日追記】
最近になって、脂質異常「要観察」は別の病気の症状の可能性が出てきました。
【抑うつ状態の闘病記4】まとめ!
それでも、ココナラにTwitter転職を経て、最終的に契約社員としてほぼフリータイムで働けるまで回復できたことで、大分、自分を取り戻してきた感はあります。
でも、お互いに仕事が忙しくて家事も最低限になりがちな今の状況に対する不安もないわけじゃないし、このままこれからの老化に向けて立ち向かい続けた上でワークライフバランスの構築・維持は難しいと判断したこともあり、2022年からは個人事業主(フリーランス)を選択しました。
結局、これからも無理をせず頑張って生きていく生活は続いていくのですが、病気になったことで気づけた大切なことは感謝しつつも、病気になるものではないと強く思うので、皆さんは「早期発見・早期治療」を合言葉に、少しでも苦しくて辛いと思ったら、本当に無理をしないで早めに病院を受診して相談してくださいね!
メンタルクリニック(心療内科)は、受診ハードルが若干下がる印象がありますが、精神的に辛い症状があるときは精神科、可能なら心療内科と精神科の両方が診療科として併記されているところに行くことをオススメします!